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猫と清張と、ひとつの目玉焼き

今年のクリスマスイヴは生まれたばかりの娘と過ごすことができました。そんな日のテレビジョンではなぜ?このタイミング。かつて、幼き自分を戦慄させた松本清張の「鬼畜」リメイク版が・・・。攻めてるなテレビ朝日。

芸術ホールのアール・ブリュット展は刺激的でした。絵画作品が多かったですが、ちょっと思いつかないような構図や造形センス、自由闊達な色彩感覚にクラクラしました。ベルナールビュフェを思わせる鋭く硬い線で描かれたセーラームーン(!)、黒いマーカーで市井の人々を描いた巨大なモノトーンの絵巻など迫力満点。純粋に対象を見つめその関心のおもむくままに描画行為に耽溺するさまが清々しかった。自戒も込めて考えるのは、アール・ブリュットに対して相対的な評価や制作の意図を読み取ろうとする行為は評論家や鑑賞(感傷)者の思い入れが先行する場合もあり、あまり当てにはならないということ。芸術性の高い表現行為であることには違いないのですが、アートっていう文脈でロジカルに価値を図ろうとすると本質を見誤ってしまうかもしれません。ただひとつ、アール・ブリュットの作品は一般的に技術的な稚拙さが気になってしまう傾向もあるのですが、今回の展示作品はそこいらのアート作品を凌駕するクオリティのものもあり、唸らされました。情緒的に訴えようとしないプレーンな展示スタイルも好印象。それにしてもフライヤーに描かれた目玉焼きにはどんな意味があるのか・・・。

お隣の美術館では「猫まみれ展」。そこそこの客入りに、世の中には猫好きが多いのだなと実感しました。アーティストもそんなご多分にもれず・・・。猫愛に満ち溢れたピースフルな空間でしたよ。「やっぱり猫が好き!、そんな自分もまた好き!」といった自己陶酔しとる作品よりも独自の切り口や批評性を持った作品に興味がゆきます。なかでも猫を抽象化してそのカタチにこだわった斎藤清の版画に潔さを感じました。自分はグラフィックデザイナーを生業としているので、構図や色感に図案的要素を含んだ作品に惹かれるみたいです。浮世絵の擬人化された猫もユーモラスで楽しかったですが、浮世絵ずいぶん多いなーという印象。小動物ゆえか全体的に小品が中心になっていたのも特徴でしょう。この二つの展覧会に共通するのは好きなものに徹底して向き合う、そんな単純な動機で作品が成立するのだということ。自分は普段、対象に無闇に感情移入しないように配慮しているのですが、率直に好きじゃないモチーフを描くときはちょっとしたストレスになるし、逆に好きなものの場合は結構フェティッシュな感覚で作り込んでしまいがち。それって無意識のうちにおのれの趣味趣向性癖が反映されていると言えなくもなく・・・。よくご指摘いただく「巨乳の女性」が作品に多く登場するのもそのためでしょうか?好みの異性としてそこまで極端な容姿へのこだわりはないと自負してるんですが・・・。これは向後、実践をもって解明しないといけない課題ですかね。良いお年を。

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