profile
北海道函館市在住 1999年頃から画家・イラストレーターとして始動。
地元函館では作品発表の他に舞台やコンサートのポスター、CDジャケットの
イラストレーションなどを手がける。グラフィックデザイナーとしても活動中。
motive
わたしたちが生きるこの世界について知ろうとすれば端的に生と死について理解を深めていけばいいんだが、それをシンプルにとらえ、日常的・恒常的に表現することはむつかしいので人は複雑な論理をたくさんこしらえてこの世界と折り合っていこうとする。政治だって宗教だってただのロジックにすぎない、ともいえる。芸術なんてものはその論理に、観念的・情緒的・精神的な念仏(メッセージ)を込めていろどり、さらにややこしくしてるんですが、作家それぞれの独自の切り口や世界観が面白いわけで、わたしたちはそこにこの世界にかんするなんらかのヒントを見いだそうとして楽しむ。もっと若い頃、生と死への考察や批評が欠如した表現はただのレジャー、軽薄に思えて、あえて反発しておりました。けども近年は年を食ったせいでもなかろう、そんなものたちの中にも見過ごせない何かが潜んでいるんじゃないかと思うこともしばしば。考えようによっては身の回りにあるすべてのものは生と死の問題を内包しているというか。それは本人のとらえかた次第というか。加齢臭防止スプレーやミッキーマウスのぬいぐるみからだって普遍的なストーリーを創造することができる。そんな境地にいけたら世界の見えかたが変わりそうなんだけど。
わたしが表現ということを意識して初めて描いた絵は高校生時分のものでそれは死んだ飼い猫が、あっちの世界でギターを奏でているというナイーブアートで(恥ずかしい)つまり鎮魂の絵だった。それが原点と言えば言えなくもなく、以来自分の描く絵の世界の多くでは何らか死んでる。生と死にまつわるエピソードを描くことがひとつのテーマとなっているようだが、その過程で超現実術主義とか神秘主義、エロスタナトス、虚無にデカダン、アヴァンギャルド、実存主義に形而上学・・・。色々つまんで影響受けて、生を表現するのにも死の場面を描くにも、どこか紋切り型になってしまうのが課題ともいえる昨今です。それを独自の表現として体得するには前述したような、かっこつきの芸術とは無縁におもえる題材に対しての想像力をやしなう、つまり他愛のないものにむけた真剣なまなざしてってのが大切なのかなと感じていて、それがややこしい表現とフラットに混在していれば面白いかなと思う。やくたいもない日常・通俗性、わたしがほんらい持ってる軽佻浮薄な精神と堅苦しさをうまく折衷できたらいいかなと近年は思いながら創作しています。
隅田信城