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イデオン

読書や音楽鑑賞など、趣味は物心ついたときから文化系の典型なんですが、実利に結びつかない無益ともいえる嗜好性で、教養を得るために本を読んだり、暮らしの知恵や職業的技能向上などを目的としたものには、ほとんどあまり関心がないわけでビジネス書や実用書のたぐいは、好んで手に取ったことがない自分です。がしかし最近まるで知的探求を余生の生きがいとする老爺のごとく、著名な知識人の「タメになる」講座・講演のCDばかりチョイスして聴いています。本を読む時間がなかなか取れなくなったこともありますが、単純に演者の独特の声色や巧みな話術が耳に心地よいという感覚的な愉しみもあり。もちろん、前述のような知的欲求を満足させるという思惑もあるっちゃーあるんです。ただそれが職場のプレゼンや結婚式のスピーチなんかのお手本になるとか、雑学を仕入れてキャバ蔵嬢にモテたいとか、そんなふやけた動機に基づいているわけではなく、まあ、若人が音楽聴いたり読書したり映画見たりするのと一緒で、いわゆるひとつの感受性が刺激されることを求めているんでしょう。

例えばいま好んで聴いている小林秀雄の実況録音シリーズ。現代批評の著しい成果といわれる往年の評論は難解なことで有名で、自分も若い頃、何度か挫折した記憶がありますが、遺された晩年の講話は意外にわかりやすく、エモーショナル&スピリチュアル。いまなら老害と断罪されそうな説教臭さは一抹あるんですが、おじいちゃん子だった私にとっては、大正昭和という封建的な時代を生き抜いた「違いの分かる男」の哲学はズッシリと響くのであります。

大筋としては科学や近代文明に対するアンチテーゼなのかな。人間の根源的な感覚、すなわち自然に対する畏敬の念や個人のイマジネーションなどを尊重し、苛烈な文明社会を生き抜くための知恵を説きます。それらはどの時代にも通底する普遍的な思想なのでしょう。今聴いても古びるどころか驚くほどリアリティがあります。録音はどれも高度経済成長期の日本各所での記録で、そのころからすでに反時代的あるいは復古調とも言えるラディカルなスタンスです。

神秘的な事象に対して率直に感応し、自身の体験に忠実に生きること。科学やイデオロギーにおける知識優先の風潮に懐疑的で(というか忌み嫌って)、本居宣長など古人の創作物を引き合いに、安直な合理主義を徹底的に叩きのめすパンクなマインドがあります。こんな思いを人前で堂々と喋る人間はいまや、ほとんどいなくなってしまいました。

僕がこんな過去の記録を好むのは、いたずらに奇をてらうつもりでもなく、また憂国のニヒリズムや疎外感を味わうための歪んだ選民意識でもなく、端的にいま、同時代で心に響く言説が少ないということだけなのかもしれません。今の時代、どの分野でもまず、われわれの経済活動が最たる関心ごとのようで、悪い意味で実証的。私なんかはTVやネットを閲覧するたび、味の無いダンボールを囓っているような感覚で、思春期由来のペシミズムが加速するだけであります。その満たされなさが創作の原動力になっているのかもしれないが。

宗教や信仰をもつ人が特殊に映る末世ではありますが、抹香臭い彼岸のことばだと言うなかれ。小林秀雄は目をひんむいて(かどうかは知らないが)オカルトや虚妄とは別の次元ではっきりと「魂はあるにきまっているじゃないか!」って断言するんですよ。それを認識するのが理性だと。科学では証明できない、ミスティックな感覚がクリエイティブの源泉であり、それを研ぎ澄ますことでより森羅万象を深く感知できるのだと。柳田國男のおばあさんの逸話のくだりなんかはねー胸が熱くなりますよ。

哲学書なんてものを読まなくなったわれわれ現代人。たまにはこんな音源を通して先人の含蓄あることばに、文字通り、耳を傾けるのもいいかもしれません。襟を正して聴くというよりも、演者の世界観がリズムを伴って心に響き、世俗にまみれてがんじがらめになった精神性(そんなものがあればの話ですが)が自然と踊り出てくる、そんな体験が待っているでしょう。

それにしても今回はいくらか説教くさいかな。鳴呼われもまた老害の予備軍となりにけり・・・。

 

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