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喜多里、ギリヤーク、シンゴジラ。多喜二。

厚沢部産の芋焼酎「喜多里」を飲んでいていい湯加減。最近歳をとったなあーと思う瞬間は、若い店員さんにタメ口で話してしまうこと。マニュアル追従のお仕着せにいたずらな反逆心が芽生えてしまう。そんな瞬間を自分はあえてリラックスしてたいと願う。

ガラケーが手放せないのは、アイフオンなどに切り替えるのがめんどうなだけではなく、電話を終えた後に携帯を閉じる時の硬い音がえがたく爽快だからだ。というのは嘘。めんどくさいだけでしょう。最近、携帯電話じたいが煩わしくなってきた。

ギリヤーク尼崎の舞踊を陸上競技場で見た。パーキンソン病で手足は震え、生き仏のようなたたずまい。踊りまえの口上は霞がかって聞き取れず(長かった)、夏の終わりの高い空、つまり涅槃に吸い込まれ、散り散りの念仏となって発光する。オーラスのガッツポーズ、笑顔の可愛らしさ、忘れがたし。

シンゴジラのDVDがレンタルされていたので鑑賞。周りの評価も高かったので期待してたんですがそれほど心動かず。劇場で見てたらもっと違っていたのやもしれんね。わかりやすいメタファーと高踏なメッセージ。いずれにしても最近の日本映画はわたしには饒舌すぎる。セリフとト書きで成り立つ世界観。役者陣が準じすぎてシステマチック。テーマに忠実すぎる演出は物足りない。もっと行間に潜む、心のアクロバットが見たい。

ただいま画材に色鉛筆を使っている。かつての長い入院生活、手持ち無沙汰の病棟で三菱の粗悪な学童用色鉛筆を使ってひたすら絵を描いていた。あの遣りきれぬ焦燥感。ポキポキ中折れする三菱の不能ぶり。ゾンネンシュターンが好きだったなー。こってり塗り込む描法で。

秋になると月光が妖しい。風がない日はことに。ピンク色のムーン。川沿いの道をひとり歩き、湿ったエロ漫画を路上にみとめる。雨に濡れたエロ本は汚れちまつた悲しみが折り重なって朝を呪っているかのようだ。

古い日本映画を見ている。若き日の三國連太郎や仲代達矢、緒形拳らの匂い立つような色気。昭和の男達は汗くさかった。泥のような色の街で味の濃い憂鬱を嚥下していた。あまねくデオドラントの平成で、憂いをはらんだ流浪の民はドブネズミのように地下へ潜るのか。

「もしもピアノが弾けたなら」って曲の主人公がピアノを所持していないのはまだ分かるとしても「君に聞かせる腕もない」ってのは子供心に両腕のない不具の男を連想させた。当時は戦争で腕を無くしたおっさんが近所には幾人かいた。なぜかみな長袖の、くすんだ色合いのポロシャツを着ていた。水木しげるもそうだ。

最初に覚えた諺は小学3年生の頃に給食の「おかわり」に群がる生徒たちに女教師が放った「慌てる乞食はもらいが少ない」。

夏はすっかり影もない。小樽の小林多喜二文学碑は怖かったなー。なるようになるだろう。ディフィニットメイビー。

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