函館美術館で「昭和の洋画を切り拓いた若き情熱」ってのを観てきました。1920年代の日本の画壇を牽引した作家たちを取り上げています。当時の日本人画家は洋画の洗礼を受けると大体みんなパリに行くんですね。船旅で。青雲の志を抱えて渡航した割に暗い絵が多いのが特徴。この時代の作家は夭折してしまう人も多く、不安と焦燥もあったのでしょう、生きている証しをキャンパスにぶつけているような鬼気迫る筆づかい、その一方で西洋からの影響が露骨にあらわれる、若さゆえの無邪気さが同居しています。
好きだったのはヴラマンクなどフォービズムの影響を受けた里見勝蔵の荒々しくも緻密に計算された油彩画。フォービズムは「野獣派」と日本語で訳されますが、野獣って言葉のチョイスがそそります。野獣死すべし。酢飯。日本のシュルレアリスムの祖と言われる福沢一郎の作品も好みでした。この時代では斬新だったであろう不思議な諧謔味。似たような作風が多い同人の中でも異彩を放っていました。絵は下手だと思いますけど。今回の展示作品全般に言えるのですが、その外貌は陰鬱ながらも内に秘めたエネルギーが荒々しく獰猛な印象で。人気の佐伯祐三なんかも身も蓋もなく言えばパンクなユトリロじゃんって感じ。西洋美術への憧れと日本人としての矜持、反骨精神が拮抗しているような、決してのどかではない殺気立ったテンションがあります。
ちょうどセミナー講演も行われていたので拝聴してきました。当時の画家たちが並んで写っている写真などをスライドで見たんですが、皆、背広をきちんと着込み、髪の毛もぴっちり撫で付けて、奇抜な様子の人は一人もいない。非常にジェントル。とかく芸術家って見た目や服装もことさら無頼を装いがちで、逆にそれがステレオタイプに陥ってしまうという現象もあるわけじゃないですか。内実が伴わない見せかけの狼藉は無難な典型に仕分けされて、個性が埋没してしまう気がします。俺も気をつけよう、そろそろ金髪にでもしようかなって思ってたけど。蛭子さんみたいな格好の方が逆にロックなんですよ。そんなこと考えながら帰宅。夕刊を見るとあのzozoタウンの社長がバスキアの絵を123億円で落札したというニュース。なんとも形容しがたい初夏のような暑い一日。なんです。